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アスリート インタビュー

チアリーダー・三原香さんインタビュー(前編)〜超高学歴チアリーダーのアメリカ挑戦編〜

theANkoが応援するアスリートの皆さんをご紹介するインタビューシリーズ。今回は、チアリーダーとして千葉ロッテマリーンズ、鹿島ディアーズ、トヨタ自動車アルバルクなどで活躍した後、単身渡米しアメリカのチアリーダーに挑戦。今年7月には女の子を出産したばかりの三原香さんです。

三原香(みはら・かおり)千葉県出身。渋谷教育学園幕張高等学校チアダンス部に所属、全国大会等で受賞多数。早稲田大学政治経済学部へ進学し同時に千葉ロッテマリーンズ専属チアパフォーマー「M☆Splash!!」に所属。鹿島建設へ入社後は社会人アメフト・鹿島ディアーズのチアリーダー、NBL・トヨタ自動車アルバルクのチアリーダーを歴任。2016年7月単身渡米。シカゴブルズ、ゴールデンステートウォーリアーズのオーディションを受験、ファイナリストに。帰国後日系大手航空会社へ客室乗務員として入社。2021年7月に第一子出産。

後編「theANkoで安産編」はこちら

–実は最初、出産時にtheANkoをお使いいただいた体験談を聞くだけ、というお話だったんですけれども。

はい、そうですね。

–いただいたプロフィールを拝見してびっくりしまして。面白いんですよ、なんなんだこの人、と思って。

そんなプロフィールを送ってすみませんでした(笑)

–アスリートのセカンドキャリアについては弊社にとっても重要なテーマのひとつなんですが、三原さんに関してはファーストキャリアから2足のわらじを履いているという非常にレアなご経歴だったので、ぜひ掘り下げたいなと思いまして。

よろしくおねがいします。

■渋谷幕張〜早稲田政経〜千葉ロッテマリーンズ

–渋谷幕張(※)のご出身というのがまずびっくりしました。なかなかおいそれと入れるところではありませんよね。(※)東大合格者数で全国10位以内、千葉県の最難関校。海外難関大学進学の実績も高い。

試験問題にちょっと癖がありますからね。私の時はもっと入りやすかったですよ。

–俳優の田中圭さんは在学中でしたか?

そうですね、田中圭先輩は私の2つ上で。当時から人気者でした。

–渋幕でチアダンスに出会い、全国大会にも出場。よく学業と両立されていましたね。そして早稲田大学の政治経済学部という私学文系のトップクラスに現役合格。本当に優秀で。

大学入学と同時に、その年にオフィシャルのチアリーダーが設立されたばかりの千葉ロッテマリーンズのチアリーダーになりました。中学・高校・大学と幕張通いです。

–2005年と言ったらマリーンズが6冠を達成した年ですね。

バレンタイン監督が注目されて、マリーンズも強くて勢いがありました。球団的にも試し試し進めることもあり、翻弄されて大変だったんですけど(笑)テレビに出演したり様々な経験をさせてもらっての楽しい4年間でした。

–元マリーンズの里崎智也さん、ベイFMで帯番組をやってらっしゃるんですが、先日たまたま里崎さんのラジオでtheANkoを紹介してくださったんです。

偶然ですね。知り合いではありませんが、私たちは陰で「里ちゃん」て呼んでました。なつかしい。

■鹿島建設で初の総合職チアリーダー

–ご卒業後は鹿島建設に入社。その選択はチアリーディングのチームがあるから?

就職活動では「仕事しながらできるチア」を探しました。今だともっと選択肢があるんですが、2009〜10年当時は裾野がまだ狭かった。Bリーグもなかったし。アメフトの「Xリーグ」ではOLがチアリーダーをやるというのが基本だったので、当時アメフトチームのあった鹿島建設を受けました。面接でも「チアがやりたいんです!」ってアピールして。そんな私を採用してくれてありがとうございますって感じです。

–鹿島建設に総合職で入社。申し分ない学歴で、今お話していても「仕事ができる人だったんだろうな」という印象です。鹿島でサラリーマンとして高みを目指す道もあったかと。でもチアを選んで退職なさいましたね。

元も子もない話なんですけど、チアありきだったので・・・。もちろん企業研究はしてきましたが、建設業の魅力を十分に知ったのは入社してからでした。入ったら会社のことは大好きになりましたし、仕事で出会う皆さんもすばらしい方ばかりだったんですが、当時の建設業はまだまだ女性の肩身が狭かったように思います。

女性の活躍推進が強い風潮になりつつあって、会社も試行錯誤していたのかな、女性として自然体でいることが難しい空気を個人的に感じてしまった。全国転勤のある職種でしたが、「チアをやっている間は東京においてください」って懇願したのに(笑)結局辞めてしまって申し訳なかったです。

–鹿島建設に在籍しながらトヨタ自動車のバスケットチームのチアリーダーもされていたというのがまたユニークですよね。

トヨタのチームには3年間いました。会社からしたら「サークル活動」のような形だったので、特に問題なく活動できていました。今はBリーグになって、イベントや試合外の活動も多いと思いますが当時は企業チームだったのであまり社外的な活動はなくて。土日の試合とたまに入るイベント、それに練習は夜に週二日だったので、仕事の方には影響なく両立できました。

■チアリーダーを目指して単身渡米

–それでもタフな生活でしたね。その後鹿島建設を辞め、アメリカに渡ってチアリーダーになるための挑戦を始めるわけですが、なにかツテはあったんですか。

ツテは・・・作りました(笑)早稲田の稲門会というOB会が世界各地にあるんです。シカゴに行ったときはシカゴの稲門会に連絡し、ステイさせていただける家ありませんかってお願いして。3戸ぐらいまたいで全然知らない中国人のご家庭にお世話になったりも。サンフランシスコでは“友達の友達”が家族で近くに駐在していたので、そこに2ヶ月ぐらいお世話になって。人づてでなんとかその日その日の宿をとる感じでした。

–たくましいですね!

私はまだ恵まれている方でしたよ。民泊の劣悪な環境で過ごしている子や怪しいシェアハウスに住んでいる子もいたので。私はちゃんと身元が確かな人のお家にお世話になれてラッキーでした。ご縁って大事だなと思いながら過ごしてました。

–アメリカには通算でどれくらいいらしたんですか。

ビザなしで行ったので3か月弱しかいなかったんです。「アメリカ生活」と呼べるほどの生活ではありませんでしたが、オーディションは2つ受けました。オーディションが終わってからも1か月ぐらい滞在していました。「爪痕を残してやろう」って思いながら1か月いたんですけど結局なにも実らないまま帰りました(笑)

–アメリカのチアリーダーのオーディションがどれぐらい大変なことなのかっていうのがわからないんですが。

「神に選ばれし」的な人たちももちろんいますが、地元の子が多い印象ですね。学生だったり、本業は別に持っている人たち。日本での私の状態と一緒。でもみんな上手だし、体格も違うし、輝きがまぶしかったです。見ていて楽しくはありましたが、あまり英語も堪能じゃなかったので色々と壁を感じてもいました。

–仮に受かっていたとすると、三原さんはどのように生活する予定だったんですか。

もし合格したら、よくスポーツ選手が取る「オービザ」というビザを取る予定だったんです。オービザを取ると、所属しているところでしか働けないので、もし受かってそのビザが取れたとしたら貯金を切り崩して生活するしか。でも人に助けてもらいながら、しぶとく生きていたんじゃないでしょうか(笑)

–ご主人は現在ニューヨーク在住だそうですね。落ち着いたらご一家でアメリカにお住まいになるんですか。

主人は永住権を持っているので私もそれに追加してもらうのですが、申請して2年ぐらい経っても全然音沙汰がなくて。ちょうど出産も重なったのでのんびり取れるのを待っています。焦っても早くなるわけではないので、娘と一緒にのんびり実家で切符を待つみたいな感じです、今は。

–三原さんてたぶん「何しても生きていけるや」って思ってる人ですよね。肝っ玉が座ったというか芯の強さがわかりますね。

ここ数年で特にそうなりました。まあどうにかなるだろうっていう心持はずっとありますね。

–というわけで三原さんの経歴をご紹介した前編でした。前歴がないことに躊躇せず、自然体で進んでいく三原さん。すごいことをやっているのにご本人に「がんばりました!」という力の入ったところが全くないのが印象的でした。次回はそんな三原さんの「theANkoで安産編」です。

出産祝いにもあんこ!